僕は1972年生まれ、日本で一番人口が多い世代です。
ごく普通の家庭で育ち、ごく普通の大学に通いました。
3学年上の先輩までは、バブル時代で就職活動では複数の内定をもらってたようです。
2学年上の先輩の時にバブルがはじけ、『就職氷河期』という言葉ができました。
僕の時は『超氷河期』になりました。
数年間、学生に頭を下げて入社をお願いしていた人事担当者は、ここぞとばかり圧迫面接を始めたと噂もありました。
沢山の不採用通知をもらった末、なんとか神戸の食品メーカーに就職することができました。
『ルートセールス』と聞こえは良いですが、喫茶店から注文を受け、倉庫や冷凍庫から食品をピックアップし、トラックに載せて配達するという肉体労働です。
配属された神戸支店はベテラン社員が馴れ合いで仕事を続けていたので、マニュアルもなく、倉庫、冷凍庫はぐちゃぐちゃでした。
新入社員には過酷な環境です。
僕らは助け合いながら、毎晩深夜まで働いていました。
冷凍庫作業を終え、外に出たら夜が明けていたなんて経験もしました。
当時の神戸は震災からの復興途上で、あちこちで渋滞にはまり配達が進まないこともありました。
就職活動の難しさを知っているので、今で言うブラック企業を辞めることができなかった同世代は沢山いると思います。
睡眠時間の確保が命に関わる状況でしたので、『どうやったら配達を早く終われるか』、『配達の前にどんな準備をすれば効率よく周れるか』、『倉庫や冷凍庫はどんな状態にしなければならないか』を必死で考え、実行しました。
その甲斐あって秋を迎えるころには、深夜まで仕事することはなくなりました。
翌年の新入社員には20時を過ぎる仕事はさせませんでした。
最短で仕事を終える思考はこの頃に磨きました。
行政書士になった今、相続税申告期限間際の財産調査のご依頼を上手くこなせているのは、この頃の経験が活き
てるんだなぁとしみじみ思います☺️